釜石市議会 2021-12-16 12月16日-04号
父親の若年性認知症をそれとは知らずに何年もケアしてきた27歳の大学生や、精神疾患の母親を祖母とともにケアしてきたが、小学生のときに祖母が亡くなり、それからずっとケアを続けているなど、多くの事例が報道されるようになりました。
父親の若年性認知症をそれとは知らずに何年もケアしてきた27歳の大学生や、精神疾患の母親を祖母とともにケアしてきたが、小学生のときに祖母が亡くなり、それからずっとケアを続けているなど、多くの事例が報道されるようになりました。
こういうことなので、これ、おとといの新聞にも、小学校3年生から23歳まで、祖母が亡くなるまで面倒を見たというニュースも載っています。という意味で、子ども課なり学校、教育委員会でこれを調査する考えはないかどうか、お伺いしたいです。 ○議長(木村琳藏君) 学校教育課長。 ◎学校教育課長(佐々木誠君) ヤングケアラーについての御質問にお答えいたします。
この方も、亡くなった祖母の市民税を支払うために、自分の生活を切り詰め支払っておりました。 そろそろ終わるころと思って市に伺ったら、過去の延滞金に充当され、新たに発生した市民税が滞納となってしまったということであります。 市長は、この間、私の質問に対して、本税を優先し充当していると答弁してまいりました。 しかし、一部とは思いますが、現場はそうなっていません。
親子だけではなくて、その祖父あるいは祖母、あるいはいとこ、そういったところまで及ぶケースも出てまいりますので、そのあたりはかなりの人たちがいろんな目で、立場で見なければならないなという状況にはなっておるということは承知しております。 ○議長(菅原恒雄) 鈴木議員。
両親でなく祖母と生活している。中には母親の世話、介護までしている。さっきの学級費、給食費等の滞り、自分で自分の身の回りのことができない。学校で孤立している。すぐかっとなる。親が仕事をしていない。親の放任等々さまざまな部分があって、それが全て今の貧困につながるかどうかは別にして、そういうふうにやっぱりきちんと対処していくことが必要なんだろうなというふうに思います。
先日市長と直接お話をしたいという保護者、そしてその祖母の方のお話に象徴されていると思います。市長はそのお話をどのように受けとめたところでしょうか。 私はまず、この石切所保育所の廃止の一番の理由は、子供の利益を守る立場に立っていないということであります。ことし子どもの権利条約が調印されて20年になります。子供の最善の利益を守る。そのことが二戸市においては全く追求されておりません。
答弁はいただきましたけれども、8月末に、あるお母さんと祖母から、恵風支援学校の6年生の女の子について、放課後行く場所がない、何とかならないんでしょうか、学童の家に何とか入れないのかという相談を受けました。その子は口頭軟化症で、空気を気管にとおす器具を喉に装着していて、そのため、気管内にたまるたんを吸引器によって取り除く必要がありました。お母さんは、シングルマザーで生活のため働いています。
私は戦後生まれですけれども、小さいころはまだ戦争を知っている祖父や祖母がおりました。
私も見学させていただいたときには、子どもたちと母や祖母、そして指導に当たる方々が明るく、集団で連携しながら取り組んでいる様子に、市として大切な取組をしていることを実感しました。ふれあい教室により子どもの発達への対応に取り組んでいること、そして家族も知識や情報を得る場所として、また何より安心を得る場所として、大切な場となっていると思います。
私事ですが、私の祖母も50代後半か60代前半だと思いますが、この田老病院の歯科でつくっていただいた総入れ歯でしたが、米寿を迎えて亡くなるまでせんべいをばりばり食べていました。田老地区の住民は、何があっても田老病院という安心感があったと思うのであります。 そのようなこともあってのことと考えますが、田老地区住民は、田老病院、診療所の再建に大きな関心を持っております。
かつて祖母から教わった言い伝えでありますが、四つ八つ日照りの六つは風、五、七が雨で、九は止むというものでございます。地震のあった時間の一昼夜後の天気を予言するもので、結構的中率が高くて感心しておりました。例えばけさ6時ごろ地震がありましたので、あしたの明け方は風が強いだろうというものです。
親がやっぱり勉強するような環境をつくってやらなければだめなんじゃないか、こういうことを申し上げておりますけれども、いずれ子供を教育するのはそれぞれの他人の先生じゃなくて、肉親の親であり祖母であるが、やっぱり教育、いろいろな教育がありますけれども、教育にかかわるべきだ、このように思った次第でございます。 いろいろな事件が起きております。大阪での4歳児、2歳児の事件、若いお母さんがほったらかしにした。
私の母方の祖母の実態を見て聞いて私も知っているつもりでありますけれども、身体を拘束すれば、体がどんどん弱っていく、生きる気力を失っていく、死期を早めるだけで、決してよいことではないわけです。人間の尊厳にもかかわることでございます。
私にも、足の不自由な祖母がおりまして、観光するに際して選択の第1の要素が車いすでも行けるとか、坂道の少ないところという部分がその選択の第1であります。そういうことを考えますと、観光名所の宮古としては、山とか坂道が多いわけでありますので、その部分の配慮というのは他の観光地以上に必要なのではないかと考えるわけであります。
80歳になります祖母はリューマチを病んでおりまして、日中は余り外出もせずごろごろしておりますが、朝夕には私の子供たち、ひ孫との会話を楽しみにして生き生きといたしております。残念ながら、老人ホームには子供たちの慰問はありますけれども、4世代同居のような家庭的な雰囲気の生活がありません。